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ある少女の死

 初夏を感じさせる陽射しがアスファルトに照り付ける。ロスアンジェルスの南側に位置する9172南フィゲロア通り。周辺にはゴミを漁るホームレスや、悪臭を放ちながら道路に寝転ぶ人の姿が目に留まる。
 1991年3月16日に15歳の黒人少女が射殺されたコンビニエンスストアは消え失せ、9172という番地も、存在していなかった。

 34年前のその日、ラターシャ・ハーリンズは1ドル79セントのオレンジジュースを同店で購入しようとした。自身のリュックにジュースを入れ、キャッシャーに移動する。それを万引きと感じたコリアンの女性店主が咎め、言い争いになる。女性2人がつかみ合うなか、少女のチョップが店主の右目に当たる。「恐れを感じた」コリアン店主はレジの引き出しを開けて銃を取り出すと、ハーリンズの背後から発砲した。

 少女はその場で絶命する。即死である。15年の短い生涯だった。彼女の左手には1ドル札が2枚握り締められており、オレンジジュースを盗む気持ちなど無かった事が明らかになっている。

 少女の死の13日前、黒人ドライバーだったロドニー・キングが4名の警官から殴打された映像が公開される。国内外のニュースを席巻し、ハーリンズ殺害事件は埋もれてしまう。

 しかし、少女の物語はロスの黒人コミュニティーとコリアン社会に大きな影響を及ぼす。事件を担当した陪審員たちは、ハーリンズを射殺した女性店主を故意による過失致死で有罪とし、懲役16年が妥当と判断する。が、ジョイス・カーリン判事は、過去にこの店が強盗の被害に遭っており、恐怖が齎した行動だと判断。保護観察、400時間の社会奉仕活動、500ドルの罰金、そして少女の葬儀代の支払いを言い渡し、コリアン女性は収監されずに済んだ。

 ロドニー・キングを暴行した警官たち全員が無罪判決を受けた1992年4月29日、黒人たちの怒りは頂点に達し、コリアンマーケットを標的に暴れ回る。所謂、「ロス暴動」である。混乱が続き、黒人居住区の韓国系オーナーたちはライフルで自身の店を守った。そして5月1日、当時のアメリカ合衆国大統領、ジョージ・ブッシュが軍隊と暴動鎮圧訓練を受けた連邦職員をロサンゼルスに派遣することを発令。暴動発生から鎮静化までに6日を要した。

 死者63名、負傷者2383名、逮捕者1万2111名を出し、物的被害の総額は10億ドルに及ぶとされている。

 

 ハーリンズ殺害は、伝説のラッパー2Pacが哀悼の意を歌に込め、数え切れないほどの新聞記者がコラムを記した。だが、少女が生前故郷と呼んでいた通りを歩く人を含め、今尚、多くが彼女を知らない。Netflixが19分のドキュメンタリーとして放送してもである…。

 2021年の元日、生きていればハーリンズが45歳となった日、彼女が活用していた、アルジン・サットン・レクリエーションセンターの壁に、肖像画が描かれた。この画を目にしたハーリンズの祖母は言った。

 「長い間、孫の写真を見ることができませんでした。ようやく時間が経って、今は、ナターシャの姿を飾っています」

 

 ハーリンズが殺害された場所からレクリエーションセンターまでは、1キロ弱の距離だった。公園があり、バスケットボール場があり、サッカーフィールド、ベースボールフィールド、テニスコート、プールも造られていた。彼女は、自分より年下の子が困っていると、即、手を差し伸べたという。

 通っていたウェストチェスター高校で、オールAの成績を取り、弁護士を目指していたハーリンズ。少し微笑むその肖像画は、アメリカ社会の現実を突き付けてくる。

 

 「地域密着」企業を目指すJBCも、彼女から課題を与えられたように思う。

 

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